従業員に事業を譲るとき、その値段で大丈夫か──「言い値」に税務が待ったをかける理由
複数の事業を営む社長が、その一つを長年の従業員に譲る——後継者不在が語られる時代に増えているかたちです。ただ、価格を「このくらいでいいよ」と決めてしまうと、あとから売り手にも買い手にも思わぬ税金が生じることがあります。この記事は、事業の一部を従業員へ譲りたい経営者に向けて、値付けのどこに税務リスクが潜むかを整理します。
「当事者が合意した価格」で話は終わらない
「この値段でどうか」と社長が持ちかけ、買い手も「ありがたい」と即答した。当事者どうしが納得しているのだから、それで決まり——そう考えるのが自然です。
ところが税金の世界では、少し違うルールが働きます。価格を決めるのは当事者ですが、法人税・所得税の課税関係は「時価」を基準に判定されます(消費税は原則として当事者が授受する対価が基準です)。合意した価格が時価から離れていると、その差額に税金がかかる。この構造を知らずに進めると、「安く譲ったのに、なぜか税金が動いた」という事態が起きます。
ここで扱うのは、株式ごと会社を売る「株式譲渡」ではなく、複数ある事業のうち**一つだけを切り出して譲る「事業譲渡」**です。切り出す取引だからこその論点がいくつもあります。
誰が売り、誰が買うかで、かかる税金が変わる
まず押さえたいのは、売り手と買い手が「法人か個人か」で課税のルールが丸ごと変わるという点です。ネット上の解説はこの場合分けを曖昧にしがちですが、自分のケースに当てはまらない規定を心配しても意味がありません。
| 売り手 → 買い手 | 主に効いてくる規定 |
|---|---|
| 個人 → 法人 | みなし譲渡(所得税法59条)。個人が譲渡所得の基因資産を時価の2分の1未満(同法施行令169条)で法人へ譲ると、時価で売ったとみなされる |
| 法人 → 個人 | 法人は時価で譲渡したものとして収益を認識。買い手個人には経済的利益への課税 |
| 法人 → 法人 | 双方で時価との差額(寄附金・受贈益)を検討 |
よく話題になる「時価の2分の1」は、個人が法人に売るとき(1行目)の話です。会社が事業を従業員個人へ譲るケース(2行目)では出てきません。売り手が法人なら、2分の1を上回るかに関係なく、時価との差額が常に検討対象です(出典:所得税基本通達 法59条関係|国税庁)。
「安く譲る」最大の落とし穴は、源泉徴収
会社が従業員へ時価より安く事業を譲ると、その差額は買い手である従業員の「経済的利益」になります(出典:所得税基本通達36-15|国税庁)。そして、その利益が**「従業員という立場に基因して」与えられたものである以上、原則として給与(一時的な支給なら賞与)**として扱われます。
給与ということは、会社に源泉徴収の義務が生じます(所得税法183条)。「モノを安く売っただけ」のつもりが給与を払ったのと同じ扱いになり、源泉徴収を忘れると後日の追徴につながる。ここが従業員承継でいちばん見落とされる論点です。
会社側は「時価の収益」と「給与費用」の二段構え
では会社側で、時価と対価の差額がそのまま課税所得に上乗せされるのか——ここは誤解が多いところです。会社は①譲渡資産を時価で譲渡したものとして収益を認識し(法人税法22条の2第4項)、同時に②従業員へ与えた差額を給与として費用に計上します。通常の使用人で損金算入を妨げる事情がなければ②は損金になるため、差額がまるごと会社の所得を押し上げるわけではありません。
| 項目(概念例・実数ではない) | 金額 |
|---|---|
| 時価 500/対価 100/簿価 200 のとき | |
| 時価での収益 | +500 |
| 給与(時価との差額) | −400 |
| 譲渡原価 | −200 |
| 所得への純影響 | △100 |
ただし、源泉徴収義務は所得の増減とは別に生じます。また買い手が役員(みなし役員を含む)だと差額は役員給与となり、定期同額給与などに当たらず損金不算入となるおそれがあるなど、扱いが大きく変わります。
「適正価格」に、決まった計算式はない
税務署が”正しい値段”を持っていて差し替える、というものではありません。事業価値に一律の法定算式はなく、適正価格=時価は次の3つの角度から自分で組み立てます。
(a) 時価をどう見るか
事業の時価は、ざっくり「時価評価した純資産+超過収益力(=のれん)」で考えます。比較可能な取引事例や第三者評価があればそれも手がかりです。問題は、のれんに税務上の確立した計算式が存在しないこと。相続税で使う財産評価基本通達の営業権評価は相続税・贈与税向けで、法人税の時価にそのまま当てはまりません。だからこそ「オーナーが抜けても、これだけ稼げる」という超過収益力を説明できる資料が価格の裏づけになります。事業ごとに損益を切り出しておくこと(部門別損益)が、そのまま値付けの防御資料です。
(b) 対価に「何を含めるか」
- 借入(負債)を引き継がせるか:立ち上げに使った借入が残る場合、それを承継させるかで実質的な対価は変わります。ただし債権者の同意が要るなど、ここは契約・法務(弁護士)の領域です。
- 税込か税抜か:事業譲渡は消費税の課税取引です。譲渡対象を課税資産と非課税資産に合理的に区分し、のれん・建物・棚卸資産などは原則課税、土地・有価証券・金銭債権などは非課税として扱います(出典:No.6145 資産の譲渡の具体例|国税庁、No.6201 非課税となる取引|国税庁)。「500万円で」が税込か税抜かで手取りも納税額も変わり、買い手が免税事業者だと支払った消費税を控除できず持ち出しになります。株式譲渡は消費税が非課税なので、これは事業譲渡ならではの注意点です。
(c) ズレたら、誰にどんな税金がかかるか
時価と実際の価格がズレると——会社側は「時価収益+給与費用」の処理と源泉徴収、買い手側は経済的利益への課税——が動きます。前章のマトリクスと二段構えが、ここで効いてきます。
買い手は「どの器」で買うのか
見落とされがちですが、買い手が「個人のまま買う」か「新しく作った会社で買う」かで、課税そのものが変わります。相手にどう買ってもらうかは、価格と同じくらい重要な意思決定です。
| 買い手の器 | 低額で譲り受けた差額 | のれん(超過額)の償却 |
|---|---|---|
| 個人(個人事業)が買う | 従業員という立場に基因する場合、原則として給与所得(一時なら賞与) | 所得税上の「営業権」として耐用年数5年で償却 |
| 新設法人が買う | 売り手法人側で寄附金、買い手法人側で受贈益を検討(従業員個人の給与課税は原則生じない) | 要件を満たせば「資産調整勘定」5年、満たなければ「営業権」5年 |
「新設法人で買う」を選ぶと、譲り受けるのは従業員本人でなく会社です。「従業員の給与」という結論はそのまま当てはまらず、法人間の寄附金・受贈益が基本線になります。
のれんの扱いも注意が要ります。法人が買う場合の「資産調整勘定」(法人税法62条の8)は、対象事業とその主要な資産・負債のおおむね全部を譲り受けるなどの要件(同法施行令123条の10)を満たして初めて使えます。一部だけをつまむ形なら、資産調整勘定でなく取得した「営業権」として5年償却になることがあります。償却期間はどちらも5年ですが、根拠となる制度が異なります(出典:法人税法(e-Gov法令検索))。
「高すぎ・安すぎ」を避けるための準備
- 事業ごとに損益を切り出しておく:freee会計などで部門(タグ)を分け、対象事業の損益を単体で見られるようにする。役員報酬など「社長がいるからこその費用」は共通部門に隔離すると、事業本来の稼ぐ力が見えます。これが超過収益力の説明材料になります。
- 簿価と減価償却の残りを把握する:過去に取得した事業なら、未償却残高が譲渡益・譲渡損の計算の起点になります。
- 値段を「決める前」に相談する:握手で決めてから来られると打てる手が限られます。どの器で買ってもらうか、負債をどうするか、消費税をどう乗せるかは、決める前なら選べます。
なお、譲る事業が赤字なら、たとえ少額でも「高すぎる」と評価されることがあります。「安ければ安心」でも「高ければ得」でもなく、時価という物差しに照らして初めて価格の妥当性が分かります。役員まわりは役員報酬の決め方、赤字事業の立て直しは赤字・債務超過から立て直すもあわせてどうぞ。
この記事の要点
- 価格を決めるのは当事者だが、法人税・所得税の課税は「時価」を基準に判定(消費税は対価が基準)。ズレた差額に税金が動く。
- 「時価の2分の1」基準は個人→法人の話。会社→従業員個人では時価との差額が常に検討対象。
- 従業員という立場に基因して与えられた差額は原則給与(賞与)扱いで、会社に源泉徴収義務が生じる。ただし会社側は給与費用も立つため、差額がそのまま課税所得に乗るとは限らない。
- 事業譲渡は消費税の課税取引(のれん等は課税、土地・有価証券・金銭債権等は非課税)。買い手が免税事業者だと控除できず持ち出しに。
- のれんに確立した算式はない。部門別損益で超過収益力を説明できる状態が価格の裏づけになる。
- 買い手が個人か法人か・使用人か役員かで課税が変わる。決める前に整理を。
出典
- 所得税基本通達 法第59条《贈与等の場合の譲渡所得等の特例》関係|国税庁
- 所得税基本通達36-15《経済的利益》|国税庁
- No.2508 給与所得となるもの|国税庁
- No.6145 資産の譲渡の具体例|国税庁
- No.6201 非課税となる取引|国税庁
- 法人税法(e-Gov法令検索)|第62条の8ほか
- 法人税法施行令(e-Gov法令検索)|第123条の10ほか
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